智恵子が愛してやまなかった「ふるさと…安達」。
その純朴さを残す町なみの中に智恵子を育んだ「生家」が当時の面影をそのままに甦りました。
明治時代の初期に建てられた生家には造り酒屋として新酒の醸成を伝える杉玉が下ります。
屋号は「米屋」酒銘「花霞」二階にある智恵子の部屋からは今にも智恵子が下りてきそうな気配が漂います。
高村光太郎
彫刻家・詩人として有名な高村光太郎は、安達町油井(現 二本松市)出身の長沼智恵子と知り合い、結婚しました(大正3年)。
二本松市の霞ヶ城には、有名な『智恵子抄』の“樹下の二人”の一節が碑としてきざまれています。