岳コラボレーション
岳温泉宿泊施設(リフト1日券の取り扱い施設もございます。一部取り扱いのない施設もございます。)
■←この色の施設名をクリックすると、各施設ホームページを見ることができます。
ホテル・旅館 | |
---|---|
ホテル光雲閣0243-24-2101 | |
陽日の郷 あづま館0243-24-2211 | |
鏡が池 碧山亭0243-24-2008 | |
あだたらの宿 扇や0243-24-2001 | |
花かんざし0243-24-2110 | |
あだたらふれあいセンター0243-24-2226 | |
空の庭リゾート0243-24-2306 | |
mt.inn0243-24-5234 | |
ホテルパラダイスヒルズ0243-24-2234 |
民宿・ペンション | |
---|---|
民宿和楽荘0243-24-2417 | |
旅人館玉美0243-24-2513 | |
空の庭プチホテル0243-24-2217 | |
ペンション シャンカー0243-24-2951 | |
ペンション イノセントエイジ0243-24-2549 |
※ご予約・お問合せは、各施設へ直接ご連絡ください。
岳温泉の移り変わり
岳温泉の源泉は、鉄山の火口内にあります。
温泉は酸性泉です。
岳温泉の由来は古く、安達太良山は「万葉集」にも詠まれていて、 すでに奈良・平安時代から温泉の出ることが知られていたと言われています。 元和年間に秩父道閑が「くろがね小屋」の近くに元湯を開いたという説もあります。 また、寛文年間に「くろがね小屋」の近くに3戸の宿ができ、湯女を置いて、 二本松藩公の別荘もありましたが、文化9年(1812年)12月8日夜に鉄山が噴火して、 被害を被ったと言われています。 またこの後、文政7年(1825年)8月15日夜にも上旬から降り続いていた雨が暴風雨となり、 鉄山の一部が地響きをたてて崩壊して、大惨事となりました。
翌年、二本松藩の指示で鉄山火口の湯源から「木ノ根坂」に温泉を引き、温泉場が開かれました。 この温泉は「十文字温泉」とも言われ、嘉永4年(1851年)の「諸国温泉効能鑑」では、 福島県内の温泉の筆頭であり、全国番付で前頭5枚目の序列になっていたということで、 その盛況ぶりがうかがえます。 この温泉は4回の大火をはさみながら、嘉永4年3月の大火によって焼失してしまったと 言われています。 その後、明治元年(1868年)の維新の兵火でも焼け、明治3年(1870年)8月に「深掘」で 再興されましたが、再び明治39年(1906年)8月に大火で焼失し、明治40年(1907年)に 現在の岳温泉の地に移転しました。
温泉は酸性泉です。
岳温泉の由来は古く、安達太良山は「万葉集」にも詠まれていて、 すでに奈良・平安時代から温泉の出ることが知られていたと言われています。 元和年間に秩父道閑が「くろがね小屋」の近くに元湯を開いたという説もあります。 また、寛文年間に「くろがね小屋」の近くに3戸の宿ができ、湯女を置いて、 二本松藩公の別荘もありましたが、文化9年(1812年)12月8日夜に鉄山が噴火して、 被害を被ったと言われています。 またこの後、文政7年(1825年)8月15日夜にも上旬から降り続いていた雨が暴風雨となり、 鉄山の一部が地響きをたてて崩壊して、大惨事となりました。
翌年、二本松藩の指示で鉄山火口の湯源から「木ノ根坂」に温泉を引き、温泉場が開かれました。 この温泉は「十文字温泉」とも言われ、嘉永4年(1851年)の「諸国温泉効能鑑」では、 福島県内の温泉の筆頭であり、全国番付で前頭5枚目の序列になっていたということで、 その盛況ぶりがうかがえます。 この温泉は4回の大火をはさみながら、嘉永4年3月の大火によって焼失してしまったと 言われています。 その後、明治元年(1868年)の維新の兵火でも焼け、明治3年(1870年)8月に「深掘」で 再興されましたが、再び明治39年(1906年)8月に大火で焼失し、明治40年(1907年)に 現在の岳温泉の地に移転しました。
「二本松市史9」から